2010年5月アーカイブ

B:もっとも、ソ連の民族問題を、アメリカや、最近黒人暴動が続発しているイギリスのような、一種構造化された人種差別と同列に論じることはできない。

ロシア人が事実上支配しているのは確かだが、別に非ロシア人がロシア人より悪い生活をしているわけではない。

むしろロシアよりいい暮らしをしている共和国も多い。

グルジア共和国や、その領内にあるアブハジア自治共和国の人々など、ある意味では極楽みたいな生活をしている。

食べ物、飲み物はうまいものぼかり、豊かな自然に恵まれ、人々は陽気。

まるで南欧にいるみたいだった。

D(ライティングクラブメンバー):比較的人種差別の目立たないソ連だが、かなりのインテリが「彼の奥さんはユダヤ人だから......」と言うのを聞いた。

やはり反ユダヤ感情は根強い底流としてあるようだ。

在ソ・ユダヤ人の出国問題は、米ソ関係の好不調を示す指標になっており、国際問題でもあるわけだ。

ある知識人が、最近の文学界では、復古的な大ロシア主義の主張が一つの潮流となっており、これが反ユダヤ主義と結びついていると教えてくれた。

もちろん本流ではないが、要注意だと言っていた。

しかし、出国希望のユダヤ人を除けば、非ロシア民族が日々ロシア人への反感を抱きながら暮らしているわけではない。

むしろ、現在のソ連の民族政策は全体として手厚いと言ってよいのではないか。

中央アジアやシベリアの少数民族は、周辺のイラン、アフガニスタン、インド、パキスタン、中国の国民よりはるかに高い生活水準と教育水準を誇っている。

モスクワの大学生が「カザフ人の方がぼくらよりよほどいい生活をしている。

ロシア人がいちぼんみじめだ」と、大まじめで嘆いていた。

だから、バルトや中央アジア・イスラム系の民族の不満といっても、実際に分離運動となって動き出すといった性質のものではなさそうだ。
A(ライティングクラブメンバー):シベリアの少数民族について、ノボシビルスクでソ連科学アカデミー・シベリア支部の歴史学者たちと話す機会があった。

私が資源開発の陰でブリヤート人やヤクート人など先住民族の生活が破壊されているんではないか、と意地悪い質問をしたところ、学者たちは「シベリアの開発で少数民族は仕事がもらえ、文化の恩恵に浴することができて幸せのはずだ」と反論してきた。

現実には、開発に伴って少数民族が村ごとつぶされ、移住を余儀なくされて、伝統的な文化や生活が危機にさらされているわけだが、私が話した学者たちには、そういった加害者意識が全くないのには少々驚かされた。

ふた言目には「ロシア人がシベリアの未開民族に高い文化をもたらした」というんだ。

確かに、かつての後進民族についてはその通りなのだが、アメリカのワスプ(WASP―白人でアングロ・サクソンでプロテスタント)意識と通じるところがあると思った。

そういえばバイカル湖について国営旅行社インツーリストが発行している英文の案内書は「バイカル湖は三百年以上前に、コサックのクルバト・イワノブによって発見された」と書いている。

そのはるか以前に先住民が湖畔で生活していたというのにね。

B:もし、ソ連に生まれてくるんだったら、ロシア人、あるいはせめてスラブ人に生まれたい、という気がした。

モスクワでバスに乗った時、料金の払い方がわからず困っていると、朝鮮系の男性二人が方法を教えてくれたんだが、この二人の表情というのが、実に暗いんだ。

笑い顔一つ見せず、無口で、すぐ二人で顔を見合わせる。

着ている服も、ロシア人より見劣りする。

何か二人のいる空間だけが、周囲と隔絶しているような感じさえした。

自分の共和国や自治共和国を持っている民族は、そこでは主流として暮らせるだろうが、そうでない民族はかなりの疎.外感を持っていろのではないか。

C(ライティングクラブメンバー):中央アジアの朝鮮人の向学心の強さも、少数民族の自己主張の表現方法の一つなのだろう。

カザフ共和国の首都アルマアタで朝鮮人建築家に話を聞いたら、アルマアタ建築家同盟のメンバー三百五十人中二十五人が朝鮮人で、これも、人口比では最も多い、と誇らし気だった。

しかし、全体として朝鮮人の独自性にこだわるより、勤勉な民族性を利して、ソ連社会の優秀な一員として、むしろ同化して行っているような印象もあった。

エストニア人のように、まがりなりにも一つの共和国を持っているかいないか、そんなことも関係があるのかもしれない。

D(ライティングクラブメンバー):もちろん、ロシア人は大部分の民族のホンネが而従腹背であることは先刻承知で、ロシア語教育や無神論教育などのソビエト化政策を進めているわけだが、民族主義的傾向や分離主義的な動きは神経質に厳しくチェックしている。

その証拠に時々、地方党が民族主義的傾向やロシア語教育に不熱心などの理由でモスクワから批判され、幹部が更迭されたりしている。

エストニア

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〈リレー討論〉

B:グルジア共和国に行ったが、民族色が驚くほど豊かな現代の桃源郷だった。

グルジア人たちというのがまたしたたかな連中で、ゴルバチョフ政権が実施した「節酒法」についても「あれはウオツカやサマゴン(自家製果実酒)が対象。

オレたちはワインとコニャックだから関係ない。

ロシア人は酒の飲み方を知らないから、アル中になっちまうんだよ」なんて言いながら、ワインやシャンパンをがぶ飲み、こっちにもどんどんつぎに来る。

あの飲みっぷりじゃ相当アル中がいると思ったが、そんなことは知らん顔でロシア人の悪口を言っているんだ。

こんな民族をあちこちに抱えながら、「みんなソ連人」といって支配しているロシア人というのはすごいと思った。

よほど巧妙で強力な政治工作や治安対策が行われているんだろうね。


民族のアイデンティティーを求めて
A(ライティングクラブメンバー):グルジアの民族意識はユニークだね。

ロシア人から見ればグルジア人はアジア人、つまり、ロシア人よりは一段格の低い民族だが、当のグルジア人は自分たちを混じりっけのないヨーロッパ人、それもロシア人より古い歴史を誇る優秀な民族だと思っている。

実際、私の会ったグルジア人は口をそろえて、先祖はバスク人と同種だという。

トルコ人との混血もあったんじゃないかと聞くと、猛烈に反発する。

話は違うが、ハンガリー人もフィンランド人と同種だとは認めても、モンゴル系民族と一緒にされるのをいやがる―といった具合で、単に支配、被支配の関係だけではないから、民族問題はやっかいだ。

E:ソ連は大小百以上の民族を抱える多民族国家だが、同じ多民族国家でも、アメリカが人種のるつぼといわれるのに対して、ソ連は決してるつぼではないことがよくわかった。

各民族は言語や文字、宗教的・文化的な伝統や生活習慣を色濃く温存しており、民族としての誇りやアイデンティティーの保持に努めているから、強いて言えば、ソ連は民族のモザイクだね。

だから、驚くほど地方色が豊かで、旅行者には楽しいが、あれでは民族意識がいつまでも残るわけだ。

C(ライティングクラブメンバー):各共和国の連邦離脱権を認めた憲法上の建前はどうあれ、事実上、政治的、経済的に発言権の小さい少数民族にとって、芸術の世界は、手っとり早くしかも一種の普偏性を持つ自己主張の手段になっている感じがする。

ラトビアの隣のエストニアの首都タリンで、ある著名な彫刻家をインタビューした時も、「エストニアの芸術家同盟には五百人が在籍している。

人口比でいうと、ソ連の中でエストニアが最も芸術家の多い共和国といえる」と胸を張っていた。

タリンの裏通りの壁に、英語で「フリーダム(自由)」という落書きがあるのをいくつも日撃した。

たまたま列車で同室になったタリンの市バス運転手からは、地元のエストニア人とロシア人が酒を飲んで、時には殴り合いの立ち回りを演じるという話を聞いた。

「ロシア人が酒を持ち込んで来たため、エストニアに酔っ払いが増えた」などといったたわいのないことが原因らしい。

エストニア語はフィンランド語に近いといわれており、目と鼻の先のフィンランドの繁栄を見ているだけに、西側への一種の郷愁は一番強い感じだ。

だが、人口はわずか百五十万人、ソ連の中で最も小さい共和国だ。

ロシアの重圧の前に、どうすることもできないもどかしさ、深く屈折した民族感情を感じたね。
バルト三国の一つ、ラトビア共和国の首都リガの中心にある「レーニン大通り」で、興味深い光景を見た。

三百慧ほどの間隔で、二つの記念像が背中合わせに立っている。

一つは、ソ連各地の都市にある「レーニン通り」につきものの、いかめしいレーニン像。

もう一つは、レーニン像よりはるかに高い台座の上に、三つの星を両手にささげた女神像だ。

そして、ソ連の内陸に顔を向けたレーニンとは逆に、女神像は、西欧の方角に、何かを訴えかけるかのように立っている。

通りがかりの市民に聞いたら、「ロシアからの解放記念碑ですよ」という大声が返ってきた。

ラトビアは十八世紀以来ロシア帝国の支配下にあったが、一九一七年十月のロシア革命後そのままソ連に組み込まれたわけではない。

ソ連の後押しを受けた共産主義勢力は、西欧の支援を受けた「ブルジョア」勢力との武力闘争に敗れ、一九二〇年、独立国としてのラトビアが誕生する。

この独立ラトビアは、わずか二十年しか続かず、一九四〇年、結局、ソ連に併合されてしまレーニン像と背中合わせの記念碑は、このつかのまの独立の喜びを表すため、ラトビア人彫刻家の手で一九三六年に完成した「故郷と自由」の像だった。

レーニン像より、はるかに立派な民族の記念碑が存在していることについて、当局筋の説明はこうだった。

「ラトビアは、十月革命とレーニンの正しい民族政策によって、帝政ロシアから自由になった。

その後、過渡的にブルジョア支配はあったが、人民の共通の敵であった帝政ロシアからの独立を祝う記念碑があっても、何の不都合もないでしょう。

それに、ラトビア人は、この記念碑が大好きですから、取り払うわけにはいきませんよ」だが、ラトビア人にとっては、この像が、帝政ロシアとその"後継者"である共産主義ロシアの両方からの独立を記念した像であることは、疑問の余地がない。

ラトビアなどバルト三国は、いま、ソ連の中で最も西欧的な構成共和国として、クレムリンの支配下に組み込まれている。

しかし、人々の心の中は、たとえエリート層でも、決して平坦ではない。

リガの「芸術コンビナート」を訪れた時、ビクトル・ベイシュトルト工場長に、レーニン像と自由記念碑のどちらが好きか尋ねてみた。

「レーニンは尊敬しています。

しかし、芸術的観点から言うと、自由記念碑の方がはるかに優れています。

何しろ、レーニン像には、オリジナリティーがない」。

「芸術」をかくれミノに、「ロシア嫌い」の胸のうちを吐露しているようにも聞こえた。
〈リレー討論〉

E:社会主義諸国の地下経済の存在は常識だが、ソ連のようにああ憶面もないと、もはやヤミとか地下とか言えないね。

格好いいもの、便利なもの、品質のいいものはすべて地下経済が供給しているのだから。

それを違法行為としておきながら黙認するのは、精神衛生上きわめて不健全だ。

しかもノーメンクラトゥーラに属する連中が、そうした品物を手に入れるのは合法というのでは、庶民はウオツカでも飲まなきゃやり切れまい。




「ソ連ではモノが少なすぎる」
B:大分よくなったといわれているが、国営商店に並んでいる生活用品は、正直なところ、手に取って見る気も起きなかった。

もっとも、良い物や輸入品は、たちまち行列ができ、売り切れてしまうから、店頭に残っているのは、国民もそっぽを向く事実上の滞貨と言えるかもしれない。

電気製品、カメラ、既製服、靴、おもちゃなどの品質が特に悪い。

それに品物にバラエティーがないから、どうしても店頭が貧弱に見えてしまう。

西側に行ったこともあるエリート青年が、自嘲気味にうまいことを言ってくれた。

「西側ではモノがあふれている。

ソ連では少な過ぎる。

選ぶ作業が大変という点では、どちらも同じだ」。

D(ライティングクラブメンバー):日本に来たことのある女性通訳が言っていた。

「ブラウスを買いに東京のデパートに行ったら、あまり種類が多いので頭が痛くなった。

品物が多過ぎるのも不便なものねLって。

たしかに、われわれは商業主義に踊らされて、不必要なものまで買わされている一面はある。

だけど、戦後四十年のあーの資源大国で、まだトイレット・ぺーパーや洗剤が不足しており、ジーンズ、ビニール袋、書籍、自動車部品......といった変哲もない品物が地下経済の"目玉商品"という状況は、やはり体制に問題があるとしか思えないね。

"表経済"と"裏経済"のギャップを埋めるための存在として「自由市場」(ルイノク)があり、特に質のよい生鮮食料品の供給に大きな機能を果たしている。

ルイノクの価格は市場経済の原則に基づいているとされ、国営商店のニー七倍程度だが、食肉類などは明らかに管理価格で、"自由"部分ボ肥大化しないよう当局が手綱を引き締めていることがわかる。




計画経済の自由化がカギ
A(ライティングクラブメンバー):地下経済は、チェコやポーランドなど東欧の衛星国の方がもっと大っぴらで徹底している。

ポーランドでは、一般国民もドルの預金口座が持てるし、外貨さえあれば、アパートも車も順番待ちなしで買え、ドル・ショップでの買い物も自由だ。

当然、国民はドルを求めて狂奔するから、ヤミ・ドル市場は半ば公然の大繁盛を誇っている。

ソ連の場合は、一般市民は外貨店「ベリョースカ」への立ち入りはもちろん、「インツーリスト」のホテルに入ることさえできないから、まだ控え目な方だ。

他方、経済の自由化が進んでいるハンガリーや東ドイツでは、ヤミ・ドルはあるにはあるが、相揚は公定レートと大差なく、地下経済もそれほど目立たない。

店頭は格段にカラフルで品物豊富、行列もない。

だから、ソ連の生活水準向上の成否は、やはり硬直化した中央指令型の計画経済をどれだけ自由化できるかにかかっていると思う。



一晩百ドルの夜の姫君

C(ライティングクラブメンバー):これは余談だが、ソ連経済自由化の先兵を見つけたよ。

外国人用ホテルのレストランやバーに出没する夜の姫君たちだ。

話には聞いていたが、あれほど大っぴらで、あんなに大勢いるとは、驚いたね。

ある日本企業の駐在員の話では、彼女たちの「相場」は、一晩百ドルということだった。

百ドルをヤミで替えれば、四百者にもなる。

平均賃金の二か月分以上だ。

この金で車や家を買ったり、豪華なバカンスに出かけたりするらしい。

また、このドルを使って、ドル・ショップ「ベリョースヵ」から流れる、西側のファッションを買い込んだりするそうだ。

中には外国人と結婚して出国した女性が、里帰りして小遣い稼ぎに励む例もあるというから、やるもんだ。

いずれにしても、彼女たちは外貨所持禁止のソ連で、完全にドル収入で生活している不思議な存在だ。

どうしても気になったのは、彼女たちがなぜ、外人の泊まるホテルに夜な夜な出没できるかだ。

外人用ホテルは、入り口でドアマンが宿泊力ードをチェックして、宿泊客でないと外国人でもなかなか通してくれないほどの厳重警備。

そこを毎晩突破して、讐の詰め所のあるホテル内をかっ歩し、私服の目が光るレストランやバーに陣取っていられるのは、当局が黙認している以外にあり得ない。

外貨稼ぎの功労者としてなのか、あるいは外国人の動静を探る特別任務を帯びた"くの一"たちなのか。

それを思うと、何やら不気味で、直接取材するのは怖かった。

B:私が軟派学生の案内でもぐり込んだアパートの主、イリーナも実はその種の女性だったんだが、すごい美人でね。

しかし、私にモーションをかけてくるわけでなし、えらく自由気ままに暮らしている感じで、ソ連社会も懐が深いと感じ入った。



ゴルバチョフの経済活性化政策

それはさておき、問題は表経済の行方だ。

ゴルバチョフ政権は八五年十月、消費物資の大増産を目玉とする二〇〇〇年までの「所得倍増計画」を発表した。

われわれが滞在中は、規律を正せ、酒を飲むな、自己変革できぬダラ幹は去れ、生産の質と効率を高めよ、それも急いでやれ等々、ゴルバチョフ書記長の怒号に近い掛け声がソ連全土に響き渡っている割には、具体的な変化はまだ「節酒法」だけという状況だった。

政権担当半年で、経済活性化政策の目玉が出たという感じだが、やはり民生向上を打ち出したのは予想通りの展開だ。

二〇〇〇年といえば、ゴルバチョフ書記長は六十九歳、それまで政権を維持して、結果を見届けようという腹づもりと見たが、果たして豊かなソ連社会は実現するだろうか。

D(ライティングクラブメンバー):結論から言えぼ、現在のゴルバチョフ路線では飛躍的な経済発展は望めないだろうね。

もちろん、ある程度までは行くだろうが―。

ゴルバチョフという人は、大変な理想主義者だという気がする。

マルクス・レーニン主義の政治・経済制度には一点の疑念を抱いておらず、今日の状況はその運用方法とそれを担当する人間が間違っていたからだ、と考えているふしがある。

いわば社会主義"原理主義者"だ。

だから、要所に禁欲的で効率を重んじる能吏を配し、労働者の規律とモラルを高め、システムを正しく作動させさえすれば、決して資本主義には負けないんだという気負いが見える。

それだけに、かえって、経済発展に不可欠の自由化や制度改革的な要素は当面出て来ないだろう。

モスクワの知識人たちも、「なせばなる式の精神主義的傾向が強すぎる」という見方が多かった。




外国資本に門戸開放が必要
E:社会主義経済の停滞を破るための処方箋が一つしかないことは、もはや明らかだ。

中国のように農業生産を個人農家に任せ、外国資本に門戸を開放することだ。

特に、「効率とスピードの向上」を目ざす場合は、働けば働いただけ報われるという刺激が不可欠だが、ゴルバチョフ路線は企業自主性の強化と中央指令のバランスでやろうという、きわめて保守的な姿勢だ。

モスクワの日本料理店「さくら」が合併でさえないとという事実が、極度にリスクを嫌うソ連の考え方を象徴しているね。

C(ライティングクラブメンバー):ゴルバチョフ書記長は、社会主義体制と自由主義体制のどちらかが究極的に優れているか、その"最後の戦い"にとりかかろうとしているのではないか。

そのために、さまざまな掛け声で国民のシリをたたこうとしている。

だが、よくみると、どれもみな、これまでやってきたソ連式経済路線の延長上にとどまっている。

まず官民の意識変革から着手する手法は、明らかにアンドロポフ流だが、ソ連型社会主義の将来に対して楽観的という点でフルシチョフに、「われわれが失敗するのを西側が待ち望んでいる」と国民の愛国心に訴えて奮起を促す点ではスターリンに似ている。

しかし、大きな疑問が残る。

「自由競争原理」が存花しないところで、どうすれば品質向上、能率改善の動きに弾みをつけることができるのだろうか。

書記長のお手並み拝見といったところだ。

世界の最新ニュースから学術情報まで、多種多様、無限にある

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その気になれ騰門的な資料も入手できる
インターネットは各サイトの運営の集合体であることは前に述べましたが、それぞれのサイトで情報を整理・分類して公開しているサイトが数多くあります。

インターネット上のデータベースともいえるでしょう。

公開の方法はFTP、Telnet、WWWなど様々ですが、大学や研究機関で蓄積された研究資料や成果、図書館の蔵書カタログや索引などをはじめとして、かなり専門的な資料を入手できます。

書物をデジタルデータとして蓄積していこうとするプロジェクトもいくつか進行中です。

「プロジェクト・グーテンベルグ(インターネット上の電子出版サービスのひとつ)」では、2001年までに英語で書かれた古典的な書籍1万冊のコレクションを作成することを目標としています。

『聖書』『不思議の国のアリス』『失楽園』をはじめとして、続々と電子テキストが蓄積されており、著作権関係のチェックも配慮されています。

―「マネー・チェンジ?」。

モスクワやレニングラードで、国営旅行社「インツーリスト」経営の外国人用ホテルの前にたむろしているタクシーに乗ると、ほとんどの運転手がヤミ・ドルの売買を持ちかけてくるのには閉口した。

ついでに料金もメーターの四、五倍のヤミ値をOKしないと動かない。

インツーリスト所属の運転手たちが待ち時間を"有効利用"して荒稼ぎする白タクも多く、高級車チャイカやバスまで走る。

運転手たちは、百米ドル(約二万四千円ー八五年六月当時)を三百ルーブル(公定レートで約九万円ー同)で買ってやる、という。

公定レートだと、百ドルは八十数ルーブルに過ぎないから、すごい好条件ではある。

だが、それに飛びつくのは禁物だ。

違法行為だからというだけではない。

外国人が三百ルーブルを短期間に使い切ることはほとんど不可能だからだ。

実は、ソ連で外国人旅行者がルーブルを使う場面はごく限られている。

観光ツアーからホテルのレストランやバー、それにキャビアなどのおみやげ類までほとんど外貨払いである。

もし、ルーブルで高額の買い物をしても、国外持ち出し禁止の揚合が多いからご用心。

ー「できたら、五十ドルだけルーブルと替えていただけませんか。

アディダスのテニス・シューズが売りに出ていて、娘に買ってやりたいのです」。

モスクワで、知り合ったばかりの研究所員が遠慮がちに切り出した。

こちらは公定レート計算である。

「売りに出ている」のは、もちろん店頭ではなく、ヤミ商品だ。

彼の親心に協力したいのはやまやまだったが、「お国の法を破りたくないので」とことわった。

ソ連の通貨流通規則は、市民が外貨を持つことを禁じており、ヤミ外貨売買の最高刑はなんと死刑である。

捕まれば、相手の外国人も、もちろんただではすまない。

ー「何か売る物はないかい?ソニー、セイコー、ジーンズ。

何でも高く買うよ」。

レニングラードの繁華街ネフスキー大通りで声をかけてきたのは、大学生風の若者。

着ているジーンズとTシャツは、フィンランドの観光客からルーブルで買ったものだという。

こうやって外国人から買った品物のうち気に入ったものは自分で使い、あとは買い手を探すが、"仕入れ値"の二、三倍の値段で右から左に売れる。

「オレは個入営業だが、運転手やバーテン連中のマフィア組織は派手にやっているよ」。

だが、ソ連では「利益を目的とする私的売買」はご法度である。

「地下経済、裏経済、第二経済と呼び名はいろいろですが、要するにブラック・マーケット。

これとまったく没交渉の国民なんていませんよ。

言うなれぼ、二億七千万総犯罪者というわけです」と苦笑するのは、モスクワの外国文学翻訳家(六五)。

ヤミ行為だけでなく、国民はより快適な生活のために、あらゆる場面でコネやわいろを使わなければならないが、もちろん、これもほとんどが違法行為。

ところが、モノ不足や官僚主義に原因があるから、当局も大紙のことは黙認せざるを得ない。

「これがよくない。

国民は法を破っているという後ろめたさを感じはするが、むしろそれも当然と開き直る気持ちの方が強くなってくる。

人間、こうした心理状況が続けば、本当の犯罪とのけじめがつかなくなり、規律や道徳心がマヒしてくるものです」。

その結果として、生産は低迷、ニカでヤミ、横流し、汚職、国家財産の横領といった経済犯罪がはびこっているーというのが、彼の〃診断"である。

つまりは、"表経済"が国民の求めている消費物資を十分に供給しさえすれば、諸悪の根源である地下経済の水脈を大部分絶つことができるというわけだ。

「歴代政権は、口ではこのことを言うが、決して本腰を入れて取り組もうとしなかった。

ゴルバチョフ書記長は、少なくとも現在の状況を恥ずかしいことと考えている点で、これまでの指導者とは違うようだ。

だから国民の期待も大きいんだが、でもどれだけやれますかね」。

スターリン時代に収容所生活も経験したというこの翻訳家の口調は多分に懐疑的だった。

学校

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〈リレー討論〉

A(ライティングクラブメンバー):われわれはモデル校でかわいくて行儀のよい子供たちしか見ていないが、核家族化が進み、しかも両親は共稼ぎで、ひとりっ子が多いというソ連社会の実情からすれば、カーチャのような子供は結構多いと思うね。

背景に住宅問題も
B:たった三日のつきあいなので本当のところはわからないが、カーチャの問題の背景には、住宅問題もあると思う。

彼女のアパートに行って驚いたのは、三部屋のフラットを三家族が一部屋ずつ使っていたことだ。

十畳ほどの部屋は、居間兼食堂兼寝室というわけだが、両親のダブルベッドと斜め向かいのカーチャのベッドでいっぱい。

学校から帰ってこんなところに一人でじっとしているのは無理だと思ったね。

汚れた服にしても、十四歳にもなった女の子なら自分で洗濯してもよさそうなものだが、家庭でそういう訓練はまるで受けていないようだったし、学校の成績面でも落ちこぼれは明らかだった。

D(ライティングクラブメンバー):イルクーツクの学校では、五点満点で三点以下を取る子供たちに対して、担当教師が補習授業をしているから、「落ちこぼれなんかいません」と校長が胸を張っていた。

それも教師の無償奉仕だというんだ。

市の女教育課長は「それが教師の責任というものです」と言っていたが、そんなきれいごとですんでいるのかどうか。

現に、同じイルクーツクで、外人観光客からガムをせしめた悪ガキを、待ち構えていた兄貴分二人がどやしつけ、ガムを奪うのを見た。

かつてモスクワのある地区人民裁判所で、ウオツカ代欲しさに通りがかった十四歳の少年を殴って金を奪った十五歳の少年の裁判を傍聴したことがあるが、こうした青少年の非行・犯罪事件は日常茶飯事という印象を受けたね。

今回会ったカルペツ検察庁付属犯罪学研究所長も「青少年犯罪に関する国民の投書がふえている」という言い方でこれを認めていた。

E:しかし、普通学校の放課後に通う音楽、スポーツ、美術などの学校が各地にあり、地区の「ピオネール宮殿」には専属の職員がいて、各種のクラブ活動を指導しているなど、余暇利用の情操教育や体育は非常に充実していると思った。

日本の学習塾やけいこごとに相当するわけだが、親の経済的負担が、ほとんどないのはうらやましい限りだ。

カーチャのような例はともかく、ソ連の子供たちの表情は全般的に明るいね。



日本の子供たちよりのびのびと
C(ライティングクラブメンバー):同感だね。

ヤルタにあるピオネール・キャンプ「アルテク」を取材した時、ソ連の子供たちの方が、日本の子供よりはるかにのびのび育てられているという印象を受けた。

アルテクは、"ショーウインドー"の役割も兼ねている休暇施設で、集まってくる子供たちは、優等生ばかり。

ところが各国の来賓も出席した六十周年記念祭典の際の整列や集合の時の騒ぎ方は、まさにハチの巣をつついたような感じだった。

日本だったら、「お客様にも見せるのだから、キチンとして」と、予行演習をやり、整然とした行儀の良さを演出しようと躍起になるところだ。

その点、アルテクの女性副所長の「お行儀が良過ぎるのは子供じゃありませんよ」という言葉が実に印象的だった。

B:偏差値だけが人生になってしまったような日本の子供の状況と比べると、ソ連の子供の多くは、健全な感覚を残していると思う。

黒侮沿岸のスフミで、グルジア人の七、八年生(十三、四歳)と話したが、モスクワ大学を受けるという秀才タイプから、将来は空手の教師になりたいという"肉体派"の少年まで、とても仲良くワイワイガヤガヤやっている。

その中の一人の少女が「将来は党の指導部に入りたい」と言ったので、「いい暮らしがしたいからか」と、意地の悪い質問をしてみた。

すると、「スフミは世界一美しい町だと思うけど、私はそれを二倍も美しくしたい。

そのためには市の行政に参加しなければ、できないからです」と、真剣に答えて、こっちがどぎまぎした。

日本なら、周りから「このブリっ子や」とヤジでも飛ぶところだが、他の子たちも全く大まじめにうなずいている。

小ざかしくないところが気に入ったな。

実は、子供たちはそんな時、何をしゃべるべきかちゃんと心得ているんだ、といった指摘があるが、勘ぐり過ぎだと思ったね。

A(ライティングクラブメンバー):いや、心得てやってる子もいるよ。

西シベリアの学園都市アカデムゴドクで、英才教育の中等学校を見学した。

九年生(日本の高校一年生)のクラスで生徒と話した時、アンドレイという、いかにも優等生といった感じの生徒の答えぶりは、まるでプラウダ(ソ連共産儀関紙)の論文を読んでいるようだった。

資本主義国では貧富の差が大きく、貧乏人は教育も受けられない。

レーガン政権は、力によってソ連の政治体制を変えようとしている。

呆はアメリカの支配と圧力の下に平和憲法を無視して軍備をふやしている。

アフガニスタンへのソ連軍進駐は、パキスタンの反動分子の攻撃を受けたアフガニスタン政府の要請があったからだ――といった調子なんだ。

幼い時から情報操作されて、そのまま大人になっていく、という体制はやはり不気味だ。

C(ライティングクラブメンバー):管理教育という点では日本とソ連は基本的に似ているが、日本の方がはるかにガチガチでゆとりがない。

国民性の違いだろうが、ソ連は大まかというかおおらかというか、ゆるい管理だ。

例えば、学校の食堂は朝からやっていて、休み時間に子供たちが三三五五やって来る。

昼食の時間帯も幅広く取ってあり、好きな時に食べてよい。

スタブロポリの学校で、日本では給食時間が決まっていて一斉に食べると言ったら、女校長が「オー、何という集団主義か」と驚いていた。

校内暴力やいじめにしても、二、三の学校で尋ねたら、質問の意味がなかなか通じなくて、「日本はどうなってるんだ」と逆に質問攻めに合ってしまった。

ソ連でもないわけではないが、それほど深刻ではなさそうだった。



大学の名門学部はコネで入る

E:モスクワの国際関係大学を出たエリート記者がはっきり言っていた。

「子供たちが幸せなのは、八年生までだ。

そこから、彼らの入生は、支配する側と、支配される側にはっきり分かれてしまう。

完全な選別教育だ」とね。

「ソ連社会は階級社会だ」と言い切るんで驚いたんだが、彼によると、実は選別以前に、学校はエリートの子弟が行く「良い学校」と、その他大勢用の「ふつうの学校」があって、教師の質、教育内容や水準がまるで違うというんだ。

それが大学になると、一層露骨になる。

国際関係大学、モスクワ大学、外国語大学など「良い大学」の名門学部には、中流以下の出身者はまず入れない。

その記者は「点数より、親の力(コネ)で決まる」と断言していた。

力のある親とはどういう人たちかというと、まず党の幹部、次いで高名な学者、軍の高官、KGB(国家保安委)の幹部、有力なジャーナリスト、医者、芸術家といった、いわゆるノーメンクラトゥーラ(本来は、名簿の意。

転じて特権階級)に名を連ねる連中だ。

D(ライティングクラブメンバー):ただ、国家のたてまえ上、名門大学も、労働者や農民の子弟のために一定の枠を設けてある。

だから、中流より、下層の労働者やコルホーズ農民の子にむしろチャンスがある。

それから兵役をすませた者、三年間労働した者にも枠があり、普通は内申点二十五点以上なければならないところを十八点でOKなんだそうだ。

そこで、はじめて、スタブロポリ地方の貧農の子で、コルホーズのコンバイン運転助手をしていた利発なミーシャことミハイル・ゴルバチョフが、なぜ名門モスクワ大学法学部に入れたかというナゾが解けるわけだ。

B:ソ連社会がカーチャにどんな人生を歩ませるのかぜひ見届けたい。

それと、現在進めている「二十一世紀のソ連人づくり」を目ざす教育改革がどんな成果をあげるか注目していきたいね。




一人ぼっちの映画館通い

第三部ナターシャたちの憂うつ
〈リポート)
もぎりのおばさんを前にして、あわてた。

さっき買った十五祭(約四十五円)の入場券がないのだ。

映画は今にも始まるところだ。

その時、一足先に館内に入った少女が、つかつかとおばさんに近づき、「この人、さっき確かに券を買ったわよ」。

その一言で、私は通された。

少女のくすんだ緑色のツーピースは、かなりくたびれているうえ、ところどころ汚れが見える。

首をかしげたようなかっこうで歩く姿も、いかにも奇異な感じだ。

「どうもありがとう」と、礼をいうと、彼女は、「急いで。

こっちよ」と言いながら、二つ並んだ席の一方に私を座らせた。

映画の後、二人で近くのベンチに掛けた。

少女の名はカーチャ。

十四歳で、九月から八年生になる。

父は労働者、母は店員で、三人家族だという。

「映画が好きなんだね」「うん、大好き。

一旦二本でも四本でも見たいわ」「いつも一人で見るの」「だいたいね」。

「学校を出たら、どうするの」「勉強を続けたいわ」「進学したいんだね」「そう」。

「今住んでるのは、どんなアパート?」「狭いの。

でも、九月に三部屋の広いアパートに引っ越すの。

パパが七年前から申し込んでいたんだけど、今度やっと手に入ったのよ。

ねえ、これからあたしのおうちに行きましょうよ」。

カーチャは、それまでのソ連滞在中、私が会った十代の少年少女とは全く違っていた。

一言で言えぼ、落ちこぼれだ。

家でも親からかまってもらったこともないらしい。

夏の長期休暇は、ソ連人にとって最高のレジャー・シーズンなのに、保養地に家族旅行をしたこともない、という。

両親は、帰りが午前様になることもざらのようで、カーチャは、昼食も夕食も一人で作り、一人で食べるという。

両手の爪が伸び放題だ。

「それじゃあ、危ないよ。

爪切りをあげようか」と言うと、「爪切りな...ら持ってるわ」。

左手の親指と入差し指の爪だけ切って見せたところをみると、ファッションで伸ばしているのではなさそうだ。

会って二日目、カーチャが「あしたから夏休みだわ」と言った。

私は驚いて、「まだ学校があったの?でも、きのうと今日、君は学校へ行かなかったよね」。

私たちは、一緒に二日で三本の映画を見たのだ。

「今は実習期間なの。

あたしはもう実習を終えたから、学校へ行かなくてもいいのよ」。

本当なのかもしれないが、ちょっと怪しい。

カーチャはとても気のいい、親切な娘だった。

しかし、私が学校生活を詳しく聞こうとすると、「質問は終わり!」と言って、答えてくれない。

一番ごきげんなのは、タクシーで映画館へ行く時だった。

"子供は王様"というソ連社会。

しかし、そこでも疎外され、寂しい口々を送っている子はいるはずだ。

カーチャは、おそらくそんな子の一人だった。

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